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スイスの田舎からスローライフ便り

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22
2006  16:34:30

シャトー・ド・ジュー ベルタ夫人の悲劇

シャトー・ド・ジューって?という方はこちらから

中世の時代、このお城がまだ、Joux(ジュー)領主のお城だった頃の話です。 1170年、当時のJouxの領主をアモリ三世(Amauri III de Joux)といい、妻ベルタ(Berthe)と幸せに暮らしていました。

ある日のこと、アモリ三世は十字軍の遠征に参加しなければならなくなり、城を留守にすることになりました。

ベルタは城に残り、夫の帰りをひたすら待っていました。
ところが、待てど暮らせど夫は戻らず、そのうち他の領主たちが既に帰国しているのを知り、ベルタは夫の死を覚悟しました。

そこへ、怪我をした一人の騎士がジュー城を訪れました。彼の名はモンフォーコン(Amey de Montfaucon)といって、とても美しい青年でした。

ベルタが彼の怪我の世話をしているうちに二人は愛し合うようになり、夫はもう帰らないと思ったベルタはモンフォーコンと一緒に、この城で暮らすことにしました。

ある日のこと、夫アモリ三世が遠征の怪我が癒えて城に戻ってきてみると、自分の妻が別の男と愛し合っているのを知り激怒しました。
怒り狂ったアモリ三世はモンフォーコンを殺し、その死体を裏の森に吊るしました。この森は今は、フォーコニエールの森と呼ばれています。

そして、妻ベルタを城の屋上の塔に閉じ込めました。
Joux13


アモリ三世は妻に復讐するため、その屋上の部屋に更に小さな牢屋を作りました。 Joux15 Joux14

窓もない、小さな石の牢屋は高さが1mもありません。
横になることも、立ち上がることもできないほどの小さなこの牢屋に、妻を閉じ込め、一日に2回だけ牢屋から出し、窓の近くに座ることを許しました。

その小さな窓からは、あのフォーコニエールの森が見えるようになっており、アモリ三世はわざとその場所にモンフォーコンの死体を吊るしたのです。
Joux15 Joux16

カラスに食われる愛人を見ながら、ベルタは泣き暮らしました。


この城のすぐ近くに紺碧のサン・ポワン湖(lac de St. Point)、があるのですが、この湖が青いのはベルタのせいだと言われています。彼女の涙が湖の水を青くしたそうな。
何故なら彼女の目が美しい青い目だったからだそうです。


その後のベルタは?


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夫アモリ三世の死後、哀れに思った息子が母ベルタを牢屋から出し、ベルタは城近くの修道院で残りの生涯を過ごしたとのことです。
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 フランスのこと

 フランス/城/シャトー

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2006/10/27 (Fri) 11:14 | EDIT | REPLY |   

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