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スイスの田舎からスローライフ便り

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21
2006  02:52:39

日本の平和を背負う沖縄

石垣島西表島竹富島などの八重山諸島を後にした私達は、沖縄島へと向かいました。
八重山滞在中は、お天気に恵まれた私達でしたが、こちら沖縄では西からの強風と曇り空で、空はどんより。

なので、残波岬にたどり着いたときは、ここはどこ?って感じ。
北の日本海の荒々しさを思わせる海にびっくり!

Zanpa

(水しぶきを浴びながら、釣りをしているおっちゃんが…。↑見える?)

Zanpa

石垣で見た海とは、大違いです。

一応沖縄本島を一周するつもりの私達は、車を北へと進めました。

Gesashi


マングローブ林が広がる慶佐次(「けさじ」って読めへんし)まで東側を走り、その後は西側から一気に北へ上がりました。西側の方が道路が整備されていて、走りやすかったからです。

そして、最北にたどり着いたと思っていた場所は実は最西端だったのですが、そこに石碑が建っていました。訪れた人たちは、何気なしに記念写真を撮っていましたが、よく見てみたら、「祖国復帰闘争碑」と書いてありました。

Hedo


1972年に日本への復帰を記念して立てられた石碑でした。
沖縄は第二次世界大戦後、1972年まで米国の占領下にありました。
ここ辺戸岬は、沖縄本島で一番日本に近い所なのです。
沖縄の人々は、日本への祖国復帰を思い、平和の願いを込めて、ここに建てたのです。

Hedo

以下はその本文です。

祖国復帰闘争碑 

全国のそして世界の友人に贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の叫びだ。
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二十八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯あることを信じ、全国民に呼びかけて、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。
一九七二年五月十五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。



1972年、沖縄は日本に返還されました。そして、それから30年以上経ちました。しかし、日本は平和の名のもとに、未だに続く米国の要求を沖縄に押し付けていないでしょうか。
日本が、沖縄県民に対して真摯な姿勢を見せているかどうかを問われている気がしました。


ここからは、天気がよければ日本の与論島が見えるはずなのですが、今日は曇り空で全く見えませんでした。

Hedo

強風のため、激しい波が海岸に打ち付けていました。

Hedo


石碑に刻まれた沖縄県民の怒りとも悲しみとも思える叫びは、辺戸岬のこの風景とあいまって、私たちの心に深く刻まれ、めいとクリスにとって忘れられない場所になりました。


最後まで読んでくれてありがとう!


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